親父のデビルをじっと見る

セイコーマチックです。

先日久しぶりに親父のオメガをアクセサリーケースから取り出しまじまじとみてみました。とんと最近は出番がありません。薄型の二針のデビルです。

f:id:seikomatic:20200619150949j:plain

私は秒針のついたものを好みます。やはり時計なので「時を刻んでいる」ことが目に見える秒針は私にとって必須だからだと思います。

今では親父のデビルはお守りと化しています。

時々こうして手巻きして動かしてやりますが、2014年にOHしてからすでに6年目ですが正確な時を刻んでいます。

私が生まれた年に、記念に買ったそうです。当時の為替は1ドル270円程度。。。輸入、舶来ものの腕時計はかなり高価な買い物だったと思います。

職人だった父は滅多に腕時計をしなかった覚えがありますが、私や弟たちの入学式、卒業式、親類の結婚式などには、このデビルをつけて着なれないスーツを着ていたのが思い出されます。

 

私が高校3年の春に、自分の死期がわかっていたのでしょう。受験生である私に唐突に、「これお前にやるわ、エエやつやで?大事にせーよ」と渡されました。

私が高3の夏に父は他界しましたが、高校生の私は親父の葬式で初めてこの金時計をしました。高校生が親の葬式に夏制服に金時計、あまり褒められた服装ではなかったと思います。が、親父の時計を覚えていた人たちもいました。「それ、おとうちゃんのやろ?まちっく君が店継ぐんか?」などと言われたものです。

サファイアガラスは傷一つありません。20ミクロンの金張りも剥がれは全くありません。ベルト交換の際に捨てないでいた尾錠は金張りがはがれて真鍮がむき出しになり、錆が出ている部分があります。付いていた黒ベルトはボロボロになってたので、ずいぶん前に処分してしまいましたが、オーストリッチの高級なベルトでした。今思えばとっとけばよかったなぁ。。。

ベゼルのおびただしい打ち傷は。。。SINNを買うまでに私が若いころにつけたものです。この傷の多さをみるに、よっぽど荒い使い方をしてたんだなあと思います。

しかし、実際に稼業を継ぐ予定だった弟にではなく、私にこのオメガをくれた父はなにを感じていたのでしょうか。。。

後になって母から親父の言をきくに、

「まちっくは店(工場)継げへんやろ。。。あの子は都会の大学行って一人で世間渡っていくと思うねん、うっとこ(我が家)はみんな職人やけどあの子は田舎には居れへんさかいな、兄弟三人おって一人くらいそんなんがおってもエエと思う、きっとお前(母)や弟らを助けてくれる頭エエ子になるわ(笑)」と言っていたそうです。

このオメガは都会へ出ていく私への餞別だったのでしょう。

私は大阪の某マンモス私大の付属高校に通っていましたが、何を思ったかそのままエスカレータには乗らず、なりゆきで東京の大学にすすみ、そのまま東京で働くことになりました。

まあ、まさに父が予測したとおりです(笑)。

さて、父の思い出のオメガ。そろそろOHに出さねば。。。

みなさんは、形見の時計お持ちですか?