山上、山香荘より月を望む、まちっく御嶽山に登る③

まちっくです。暮れたばかりの時間です。

時は2020年10月末日、東京の街を西側の青梅市山上から見ています。

山香荘の窓から。美しい。。。

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すっかり暮れた夜のお月さまです。

眩しいほどに真ん丸、月齢14.3(翌日11/1は15.3です)

なので満月といって良いでしょう。。。↓

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家内は神社仏閣に参拝、いわゆるパワースポットというやつですか?に行きたがるキライがあるのですが、私は文化としてのアニミズムや信仰、歴史的建造物、なんでしょうね?民俗学ちっくなものに惹かれます。

だいたい、今までは家内に引っ張られる形で古都めぐりや神社仏閣参拝に足をはこんでいたのですが、今回の御嶽山には「浅田先生縁の地」というファン心理というか下心がありました。

しかし、実は今回は私が思っていた以上の収穫があったことを書いておきます。

①ハイキング、登山に対しての偏見が消えた

私はどちらかというと文化系で、運動は苦手というかアウトドアが好きではありません。「富士山登るとか何の罰ゲームだよ。。。マジ、ワンゲルのやつらって変な癖(へき)あるんじゃね?」とか、若いころから長年思っていました。田舎育ちのくせにコンクリートジャングルで冷房・暖房に囲まれて過ごすのを好みます。しかし、最近山奥とか僻地の神社仏閣に行くことが多くなり、今回の御嶽山などは極め付きの山奥と感じました。

が、目的のお宮、目的の霊場に向かう道中が本当に気持ち良いのです。

昔の修験者が一心に山中を歩いた気持ちの片鱗がわかる気がします。

ちなみに山頂とかにも到着した時の達成感みたいなものはあるのですが、登山客のみなさんのように、お宮さんの前や後ろで食事をする気分にはなれません。私にとってはなんだか神様の前で飲食することが憚られるというか。。。スポーツとしてではなく、

自然の中を歩くことがなんだか癒されるというか心身に良いというか、月並みな言葉ですが、セラピー的な何かが気持ち良いのです。

手を合わせて、自然の空気をいただいて。。。帰路の無事を祈る。なんだか清々しいのです。

御嶽山はガチの霊場だと思う。

近畿地方の田舎育ちの私は、幼いころから徒歩5分に旧国弊一宮はあるわ、正月の初詣は、「小さな氏神さん」「国の一宮」「稼業の商売繁盛を願うお稲荷さん」と、三社を普通に回るという幼少期、中高生のときはしょっちゅう、京都市内(祖母宅近辺)をうろつき、なにかというと学校行事では寺社巡り、信心深い祖父母のせいで般若心経を坊主口調でそらんじ、法要などでは住職に褒められる始末、長じて結婚してからは家内の神社仏閣めぐりに付き合うという環境で、御朱印こそありませんが(もしも集めてたら何冊分になったかわからん)、都民としては結構な数の神社仏閣に出入り経験があります。ちなみに私が神社仏閣に行ったときに一番多い感想が、「ああ、観光地だな」です。しかし、御嶽山はいわゆる、数すくない、ガチ勢だと感じます。

色々と観光スポットは多い御嶽山ですが、私が今回お邪魔したなかで、神社本堂の更に奥の大口真神社」とそのすぐそばの「奥宮遥拝所」

そして「綾広の滝」はスピリチュアルファンではない私にも何かが感じられました。「ここでおふざけでもしようもんならバチがあたるだろうな」という雰囲気を醸し出してます。ただの観光名所ではないと思います。できれば敬虔な気持ちを忘れずに足を運んでください。きっと霊験あらたかなのだろうなと感じます。

③山香荘の飯は美味い、特に猪鍋

私の田舎はいわゆる丹波篠山に近く、実は私はイノシシやシカなどのジビエには幼いころから親しんでいます。普通に鹿肉をストーブであぶって焼肉にしたり、牡丹鍋も自宅で食してました。

が、山香荘の猪鍋は絶品でした。おそらく今まで食べたイノシシ料理の中で一番だと思います。勿論、東京の一流料亭とかでイノシシを食した経験はありませんが、少なくとも京都の一流料亭で食べた猪鍋よりも上です。実はこういった山奥や海辺の料理は同じ食材を扱った銀座や京都の料亭をしのぐことがしばしばあります。

確実に私が書ける実例を記します。

兵庫県、七窯荘のズワイガニ料理>銀座の某高級料亭

青梅市、山香荘の猪鍋>京都市内の某高級料亭

まあ、だまされたと思って。。。行ってみてください。

最後は食い物の話とは。。まあ、私らしいかも^^;

では。